2020-04-13

気がついたらまた1ヶ月、日記を放置してしまった。

この1ヶ月でコロナウイルスはさらに拡大して、年初には想像していなかった事態に突入してきた。鬱々として、日記を書く気にもならなかった。

 

どうでもよいけど書き記すと、クラブのメンバーが4月にいれかわった。

その中で、新しくやってきた某社のキャップは向こうから一切挨拶をしてこないし、こちらから挨拶してもブスッとしている。人とコミュニケーションを取るのが苦手な方なのだろうけど、もう少しなんとかならないのかと思う。クラブの馴れ合いのようなものは拒否するタイプなのか。それならそれで、取材でやる気を見せてほしいのだけど、そうでもないみたい。黙りこくっている。

それなのに、いつも隣のボックスで、おそらく社内の人と、誰かの悪口や、自分が行きつけの店に金貸してるだとかあそこはどうだとか人の批評ばかり、なんだか上から目線でしている。全部聞こえているぞ。おそらく、わたしに聞こえているのを承知で、あえて聞かせているんだと思う。「おれ、イケてるだろ」みたいなドヤ感がぷんぷんして、心底滅入ってしまう。私用っぽい電話は職場では控えていただきたい。反面教師にする。

 

世界中でコロナは猛威をふるっていて、もはやわたしが具体的に想像ができない数字になってきた。たしか170万人を超えた。四国人が全滅するくらいの数かしら(合ってるかどうか調べてない)。だとしたら多いのか少ないのか、よく分からない。

イタリア、スペイン、フランス、イギリスでも死者が1万を超えた。NYもひどい。

日本はそこまでいってないけれど、検査を十分にしていないだけで感染者はもっと多いし、国民あたりのベッド数も少ないようだし、これからどうなっていくのか想像がつかない。

 

3月入ってしばらくはまだ危機感がなかった。マスクがない、トイレットペーパーがない。買いだめに走る人はおかしいなあ、くらいに傍観していた。好きな雑貨屋、古本屋、飲食店の経営が立ちいかなくなると困ると思って真剣に消費活動に取り組んだ。それからしばらく、20日を過ぎたあたりで海外の報道を見ていて「これはマジでやばい」と思い始めた。詳しくは忘れたけど、心にドーンと一撃をくらったタイミングがあった。そこで、5月に予定されていた友達の結婚式の二次会に参加していいものか、はたして参加できる状況になるだろうかというのを考えて、返事を保留させてもらうことにした。もうしばらく実家に帰れないし東京にも行けないのだ、京都に閉じ込められるのだと腹を括ったのもこの頃だった。そして29日に志村けんさんが死去。びっくりした。わたしは全然テレビを見ずに育ったし思い入れは特になかったけれど、みんなが知っている国民的スターが、元気そうに見えたおじさんが、たった数日で死んでしまうなんて衝撃は大きかった。このあたりから、周りの危機感も高まってきたと感じる。結婚式は結局、中止になる。それでも街はわりと普通通りだった。わたしも行きたいところへ行っていた。

 

4月に入った。マスクはまだない。消毒液やハンドソープもないので困る。うろ覚えだけど、3月末からは1日の感染者数が3桁になってきた。夜の21時くらいに会社の配信記事一覧をチェックして、その時点での感染者数を確認するのが日課になり始めた。そこから新たに判明した人数をセルフで足し上げていくけれど、最終的な数が判明するのは日付が変わる頃になる。毎日、各自治体も集計するマスコミも大変だ。些細な作業なのに大変だと思う。さらにプラスアルファで必要な報道をする以前に、淡々と事実を積み上げて伝えることの大事さを改めて感じる。

 

ここらへんで、自分の担当している事件が弾ける可能性が浮上する。利己的で情けないけれど、こればっかりはコロナでつぶれてほしいと心底思う。順調に感染者数が増えていくのを見て、「よしよし」などと思う。人として最悪だけれど、コロナを都合よく利用している人は多いだろう。楽しい事柄はコロナでつぶれて嘆くけれど、同時に嫌なことをしなくなってよくなっている面もある。人の命を前にしたらそれどころではないので、こういうくだらないことを考えて一喜一憂できるのは今だけだろうと、冷静に考える。今だけだから、一喜一憂してみる。

 

その結果、やっぱりコロナの影響は大きく、事件着手は延期になる。ひとまずホッとしてまた気が抜ける。

 

7日に7都府県で緊急事態宣言が出される。いよいよ人の目が厳しくなって飲みに行きづらくなる。頭では行くべきではないと分かっているけれど、仕事でふだん会う人とならいいじゃないか。夜飲んだりランチしたり、楽しいことだけ白い目で見られるのはおかしい、政府がやってることも筋が通らないと思い、反発したくなる。そして、このイライラやもやもやを誰かと共有したいし、周りにいる人のことがわたしは大好きで一緒に楽しくワイワイしたくてたまらないのだ、寂しいのだということを実感する。理性より感情がまさって、近い人とは飲んでしまう。

 

そう、今回日本の政府の対応はとんでもない酷さなのだ。頭を抱えて日本国民をやめたくなったことは、この1ヶ月で何回あっただろうか。最初は意味不明に学校だけ休みにさせた。そのあと学校は謎なタイミングで再開したので、振り回される子供たちも保護者も気の毒でたまらない。自粛は求めるのに休業補償は頑にしない。ナイトクラブやライブハウス、夜の街ばかりが標的にされる。経済は止めたくないから通勤電車もいつも通りだ。緊急事態宣言なのに、びっくりするくらいノロノロと緊急さを忘れてしまうようなスピードで準備される。

現金配るのかと思ったら、まさかの「お肉券」が浮上する。虚構新聞かお笑いのネタだと思った。その翌日に「お魚券」もまじめに自民党内で検討されていると聞いて、怒りを通り越して混乱する。さらに200億円以上を使って、効果が薄いとよく言われている布マスクを世帯につき2枚配ると言い出す。安倍晋三がつけている給食当番みたいなアレであれば、付けたい人などいるのだろうか。さらにマスク配布に結局400億円以上かかることが発覚する。つらい。違うことに使ってくれ。布マスクなら自作している人も多いし、それも安価で売られている。布マスク配布は、紙マスクの品薄状態になんら貢献しないと思う。トルコでは週に1人に5枚、マスクが配られるらしい。トルコ人に笑われる。エルドアンの方がよっぽどマシだと思うことが増えてくる。

そして4月12日、朝からTwitterのTLが荒れていると思ったら、安倍晋三星野源の「うちで踊ろう」に乗っかって謎動画を発信していた。ほんとうにあれは何なのだ。絶句して、もう一度見て怒って、次にあまりの意味分からなさに笑って、それから恐ろしくなった。流行に乗って親しみやすい首相をアピールしてみようと思ったのか。それがうまくいくと思ったなら、あまりに感覚がズレているし、周りのブレーンたちも気が狂っている。批判殺到を想定した上でそれでもやっているならサイコパス。補償もない中、いちばんに閉鎖の対象になって身を切って苦しんでいる音楽業界の人々の気持ちを考えなかったのか。歌って踊るならまだしも、変な顔で犬を撫でてお茶飲んでテレビ見てるだけとはなんだ。しんどい状況でも工夫を凝らして楽しんでいる人たちの気持ちや作品自体をぶちこわしている。そもそもあなたは自粛して家にいる場合ではない。家で執務してもらっても、たまには休んでもらっても、本来ならいいのだけど、ろくに仕事をしているとは思えない状況でこの動画をアップするのは本当に何なのだ。

みんなが怒りの声をあげたこと、本当はもっと抵抗したいだろうけど大人の事情でできないのかもしれない星野源が、みんなが納得する精いっぱいの反応をしたことはまあよかった。

 

毎日が茶番みたいで、これからもどうなっていくのか全く想像がつかない。日本でも院内感染やお医者さんの感染が増えてきた。医療関係者、そしてその関係者はどんなにつらいだろう。知り合いに看護師や医者がいたら、心配で気がおかしくなってしまうと思う。

 

報道関係も、緊急事態こそ仕事をするべき業種なので休業要請の対象ではない。担当が違うとはいえ、その組織に属している一人として、今必要とされている報道ができているのか、できていないだろうということを考えてつらくなる。政府と同じで信頼がなくなっている。現場は疲れている。

なんでこういう報道をしないのか、なぜ突っ込んで聞かないのかというネット上にあふれる声を見ては、同意したり、そこまで言わないでもと思ったり、心がフラフラになる。首相の記者会見など見るとくだらなくてフラフラする。批判が自分に向いているように感じる。何ができるか考えるけど、何も浮かばない。何もしたくない。ジャーナリストである以前に、ただの会社員で一人の人間だと主張したくもなる。わたしだって家にいたいんだ!と思ってみたりする。でもやっぱり、少しでも社会をいい方向に向けるために何か書きたい、書かなきゃと思う日もある。5月からは担当が変わるからできることも増えて、かつ同時に報道の責任から逃げることは難しくなる。早くやめたいとあれだけ願っていた警察担当だったけど、今の時代は警察担当をしている方が気持ちは楽チンなんだろうな。人生、そんなに簡単にできていない。